大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で、蔦屋重三郎(演:横浜流星)と行動を共にしている唐丸(からまる)が話題となっています。
唐丸は、明和の大火の時に蔦重(蔦屋重三郎)に助けられ、記憶を無くした謎の少年。
そんな唐丸の正体は、いったい誰なのか、それはのちの東洲斎写楽なのではないかという考察が広がっています。
唐丸の正体が写楽である理由3選と、東洲斎写楽という謎の人物のwiki経歴プロフィールもまとめました。
【べらぼう】唐丸の正体は写楽!?その理由3選!
唐丸(演:渡邉斗翔)は、明和9年(1772年)に江戸を焼き尽くした「明和の大火」の際、大門の外で立ちすくんでいたところを、蔦重に助けられました。
火事の後は、自分のことを何も覚えていなかったため蔦重に引き取られ、唐丸という名前は蔦重の幼名「柯理(からまる)」から付けられたものでした。
大河ドラマでは、時に歴史上では存在しない架空のキャラクターも補助的に登場し、物語を盛り上げるのに欠かせない役割を担うことも。
いまのところ、唐丸は架空のキャラクターのように描かれていますが、謎が多いだけに、成長後は物語の重要な登場人物になる可能性も秘めています。
出自もわからない謎だらけの少年・唐丸は、なぜのちの東洲斎写楽だと考察されているのでしょうか?
唐丸の正体は写楽:理由① 生まれた年が近い?
第一話で放送された明和の大火は明和9年(1772年)。そして1年半後の安永2年(1773年)の唐丸の姿は、だいたい10〜12歳くらいの見た目。
実際、唐丸役を演じている渡邉斗翔さんは12歳なので、唐丸も12歳くらいだと考えていいでしょう。
一方で、東洲斎写楽については、出自は解明されていないとされつつも、現代の研究では八丁堀に住む能役者の斎藤十郎兵衛だったという説が有力とされています。
斎藤十郎兵衛が東洲斎写楽と同一人物であるという確証はないものの、大河ドラマではフィクションと史実をうまく組み合わせてドラマティックに描かれるのが常。
唐丸がただの架空のキャラクターではなく、のちに登場予定の重要人物に化けるとしたら、生まれた年が1763年頃と非常に近い、東洲斎写楽という可能性はかなり有力なものとなりそうです。
唐丸の正体は写楽:理由② 吉原生まれではない?
明和の大火の時、蔦重が唐丸を発見。唐丸が燃え盛る家の方向へ歩いて行こうとしたところで、蔦重に助けられ一緒に逃げます。
なにやらこの家に思い入れがありそうですが、唐丸は記憶をなくしているので今はまだ何もかも謎。
しかし蔦重が吉原大門を出て橋を渡ったところで唐丸と出会っているので、この場所が吉原ではないのは確かです。
吉原と八丁堀は距離にすると少し遠いですが、全く歩けない距離でもありません。
唐丸は、八丁堀から事情があって吉原の近くまで行った際に火事に巻き込まれた可能性もありますね。
ちなみに八丁堀地蔵橋は、現在の茅場町駅近くにありました。(現在は埋め立てられて橋はありません)
唐丸の正体は写楽:理由③ 謎が多い点が共通している
記憶を無くし自分の名前さえもわからない唐丸。
一方で、東洲斎写楽は、寛政6年(1794年)から寛政7年(1795年)にかけての約10か月間のみに活躍した浮世絵師。
フィクションと史実を織り交ぜながら、ドラマティックに描かれることが多い大河ドラマ。
謎が多いという写楽の特性を利用して、幼少期の確証のない部分を唐丸というキャラクターで創作しているのかもしれませんね。
謎の絵師・東洲斎写楽とは?wiki経歴プロフィール
彗星の如く現れた謎の絵師・東洲斎写楽は、寛政6年(1794年)から寛政7年(1795年)にかけての約10か月の間に145点余の作品を版行し姿を消しました。
衝撃的なデビュー
寛政6年(1794年)5月、突如現れ28枚の役者絵を刊行。
これらは、雲母摺の大判の大首絵で、役者の個性を大胆に強調した斬新な作風が特徴でした。
当時、役者絵は美化や類型化が一般的でしたが、写楽は鷲鼻や大きな顎など、役者の特徴を誇張して描き、観る者に衝撃を与え、大ヒット。
蔦屋重三郎の支援
写楽のデビュー作には高価な「雲母摺」が施され、新人には異例の豪華な制作でした。この背景には版元・蔦屋重三郎の存在があります。
蔦重は、写楽の才能を見出して大胆なプロデュースを行い、写楽作品はすべて蔦屋重三郎の店から出版。
この時「寛政の改革」による風紀取り締まりで蔦重は大きな打撃を受けていました。
しかしその逆境の中で規制を逆手に取り、写楽の作品を発表して大ヒットを飛ばしたのでした。
短期間の活躍と突然の消失
写楽の絵の発表は4期に分けられています。
第1期
寛政6年(1794年)5月
28枚、全て大版の黒雲母摺大首絵
第2期
寛政6年(1794年)7月・8月
二人立ちの役者全身像7枚、楽屋頭取口上の図1枚、細絵30枚
第3期
寛政6年(1794年)11月・閏11月
顔見世狂言を描いたもの44枚、間版大首絵10枚、追善絵2枚
第4期
寛政7年(1795年)1・2月
春狂言を描いたもの10枚、相撲絵2枚
しかし品質は次第に低下し、第3期・第4期の作品は評価が振るわず、これを最後に写楽は突然姿を消しました。
彗星の如く現れ、消えた短期間の活動が、写楽の名をより一層謎めいたものにしています。
まとめ【べらぼう】唐丸の正体は写楽!?その理由3選!謎の絵師・東洲斎写楽wiki経歴
唐丸の正体は東洲斎写楽??という理由を3選まとめました。
大河ドラマ「べらぼう」の物語は始まったばかり。写楽を演じるキャストもまだ発表されておらず、唐丸が本当に写楽となっていくのかどうか・・・気になりますね!
唐丸の正体は、葛飾北斎説?もありますが、こちらはまた近々まとめていきたいと思います。
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