2024年4月から放送中のNHK朝の連続テレビ小説、「虎に翼」。
伊藤沙莉さん演じる猪爪寅子は、初の女性判事・家庭裁判所長の三淵嘉子さんがモデルとなっています。
三淵嘉子さんは最初の結婚相手と死別し、その後、三淵乾太郎(みぶちけんたろう)さんと再婚します。
三淵乾太郎さんは、ドラマの中では岡田将生さんが演じる“星航一”として登場しますが、そのモデルとなった三淵乾太郎さんとは、どのような人で、どのような人生を歩んだのでしょうか?
三淵乾太郎さんについてまとめてみました。
三淵乾太郎のwiki経歴学歴!
父・三淵忠彦は最高裁判所長官
三淵乾太郎さんは、父・初代最高裁長官の三淵忠彦の長男として生まれました。
三淵 乾太郎(みぶち・けんたろう)
1906年(明治39)12月3日生まれ
1985年(昭和60)8月22日没(78歳)
福島県会津若松市新横町 出身
東京帝国大学法学部卒
祖父:三淵隆衡…会津藩士
父:三淵忠彦…初代最高裁長官
母:久子
弟:萱野章次…のちに千代田生命保険社長
弟:三淵震三郎…のちに大東京火災海上保険(あいおいニッセイ同和損害保険)常務
妹:多摩
継母:静
弟:三淵粲四郎(忠彦と静の子供)
東京帝大卒業、戦後は地方裁判所所長
乾太郎さんは、戦前に東京帝大を卒業し司法省に入省、地方判事などを務め、戦後は高等裁判所裁判官及び最高裁判所調査官に着任し、甲府地方裁判所所長、浦和地方裁判所所長なども務めました。
1930年:高等文官試験司法科 合格
1931年:東京帝国大学法学部 卒業、司法省 入省(司法官試補)
1932年:東京地方裁判所 予審判事
1935年:東京民事地方裁判所 判事
1942年:司法事務官
1944年:領事として北京滞在
前妻と死別、後妻に嘉子を迎える
乾太郎さんは、最初の妻である井沼祥子と結婚して四児を儲けましたが、1955年に死別します。
そして1956年、初の女性判事だった三淵嘉子さんと入籍し、嘉子の長男の和田芳武の継父となりました。
再婚当時、嘉子さんは42歳、乾太郎さんは50歳で、嘉子さんには息子、乾太郎さんには1男3女がいました。
長女:三淵那珂
次女:三淵奈都
三女:三淵麻都
長男:三淵力
嘉子の長男:和田芳武
別荘「甘柑荘」での暮らし
乾太郎さんと嘉子さん夫婦は、東京と甲府、浦和と新潟と、お互いに単身赴任で点々とし、結婚後も長い別居生活を送っていました。
そんな中で、義母・静さんが住む小田原市の「甘柑荘(かんかんそう)」が集合場所となり、ここでの時間が夫婦の絆を深め、家族や孫たちとにぎやかに楽しく過ごす場所となりました。
こちらは、乾太郎さんの義母・静さん(右)と、三淵嘉子さん(左)
乾太郎さんと嘉子さんは、引退後に「甘柑荘」でのんびり暮らす予定で、畑だった東の庭に梅、みかん、夏みかんなどの果樹を植えたそうです。
小田原市の霊寿院には、父・三淵忠彦の墓の隣の「三淵氏の墓」に、嘉子さんと共に眠っています。
三淵乾太郎は猪爪寅子の再婚相手のモデルだった!
三淵乾太郎さんの妻である三淵嘉子さんは、ドラマ「虎に翼」の主人公・猪爪寅子のモデルとなっています。
主人公の寅子は実家の書生と結婚しましたが、死別。そして再婚相手の星航一は三淵乾太郎さんがモデルとされています。
寅子のモデルの三淵嘉子(旧姓・武藤)さんも、同じく実家の書生だった和田芳夫さんと結婚しますが、1945年に死別。それから11年後の1956年(昭和31)、裁判官の三淵乾太郎さんと再婚しました。
まとめ:【頭いい】三淵乾太郎のwiki経歴学歴!猪爪寅子の再婚相手のモデルだった!
いかがでしたでしょうか?
三淵乾太郎さんは、甲府地方裁判所所長、浦和地方裁判所所長などを勤めた判事で、「虎に翼」寅子のモデル三淵嘉子さんの二番目の夫「星航一」のモデルになった人でした。
夫婦共に同じ法曹界で戦い、お互いに良き理解者であったに違いありません。
引退後、早くに亡くなってしまった妻の嘉子さんですが、2人で穏やかに幸せに余生を送られたことと思います。
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