三戸舜介のwiki経歴プロフ!彼女は誰?両親や兄弟など家族構成も

2024年夏季オリンピック(パリ五輪)でサッカーの日本代表の三戸舜介選手。いよいよパリオリンピックのリーグ戦が始まり初戦でゴールを決め、注目を集めています。

今後もMFとして活躍が期待されているみとちゃんこと三戸舜介選手は、どんな選手なのでしょうか?

笑顔がチャーミングなキャラクターも女子の心をくすぐっていますが、彼女はいるのか気になりますね?

そんな三戸舜介選手のwiki経歴プロフ、両親・兄弟などの家族構成、彼女は誰なのか?などまとめました。

目次

三戸舜介のwiki経歴プロフ!

名前:三戸舜介(みと・しゅんすけ)
生年月日:2002年9月28日(21歳)
出身地:山口県宇部市
所属:アルビレックス新潟→エールディヴィジ・スパルタ・ロッテルダム(オランダ)
ポジション:MF
学歴:宇部市立原小学校(山口県)
   御殿場市立富士岡中学校(静岡県)
   福島県立ふたば未来学園高等学校(福島県)
サッカー関連の学校:原サッカースポーツ少年団、JFAアカデミー福島
身長:164センチ
体重:60キロ

三戸舜介選手は、山口県宇部市生まれ。
中学から親元を離れて、サッカー選手養成機関である「JFAアカデミー福島」へ入校しました。

では、幼少期から詳しく見てみましょう。

ヤンチャ坊主?だった幼少期

三戸舜介選手は、山口県宇部市生まれ。お父さんのお話によると、骨折ばかりしていたそうです。

「なんか痛い」というので病院に連れて行くと右手を骨折していたり、小学校低学年の時は左手を骨折したり、ジャングルジムや遊んでいる時に怪我をすることばかりだったとか。(高校でも骨折はあったそう)

三戸選手は宇部市立原小学校へ入学。

幼稚園の頃からボールを使う遊びが好きだった三戸選手は、小学校3年生の時に学校関連のスポーツ少年団「原サッカースポーツ少年団」へ所属。その練習場所は同小学校のグラウンドでした。

宇部市立原小学校

宇部市立原小学校のウェブサイトでは、三戸選手への応援メッセージも掲載されています。

宇部市立原小学校ウェブサイトより

プロになるような選手は、もっと小さい時からスポーツを始めているのが一般的な印象ですが、三戸選手はサッカーを始めたのは小学校3年生の9歳から。

実は小学生になった頃から、ずっとサッカーをやりたいと親に訴えていたそうですが、家のことや宿題がおろそかになっていたため、反対されていたのだとか。

しかし2歳年上のお兄さんも一緒に少年団でサッカーをやることになり、一緒に入ることになったそうです。

中学・高校時代はJFAアカデミー福島へ

三戸選手の幼少期は、楽しいから好きでサッカーをやっていただけで、特にプロチームに入りたいという意識はなかったのだとか。

しかし中学への進路を決める際に「プロを目指したい」と親に伝え、チームを探し始めたとき、たまたまテレビで紹介された「JFAアカデミー福島」について親御さんが知ることになります。

全国から選手が集まるらしいということで、親御さんの提案で「JFAアカデミー福島」への入校を決めました。

JFAアカデミー福島とは
日本サッカー協会(JFA)が福島県・広野町・楢葉町・富岡町と連携して推進するサッカー選手のエリート教育機関・養成システム。アカデミー生は寮に寄宿しながら地元の公立中学・高校に通学して学生としての学校教育を受け、放課後にアカデミーで各種の教育を受ける。

JFAアカデミー福島は、生徒は専用の寮生活となりますが、地元の公立中学校・高校に通学しながらサッカー教育を行う方針。

Jヴィレッジに隣接するJFAアカデミー福島の男子寮(K.F., CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

当時、東日本大地震後の福島第一原子力発電所事故の影響により、JFAアカデミー福島の拠点であるJヴィレッジが使用不可となり、2011年度より静岡県の御殿場高原時之栖に一時的に移転。

三戸選手はその影響で、静岡県の御殿場市立富士岡中学校へ進学しました。

しかし、試合に出たり出なかったりと結果も残せない時期もあったそうで、中学2年の時に親から「もうアカデミーやめろ「何のためにアカデミーに行ったんだ?」と言われ、サッカーやめようと思った時期もあったのだとか。

しかし、保健体育の恩師によれば、三戸選手は、日本で1番楽しそうにサッカーをする選手なのだそう。

身長の小さな選手でありながらあきらめない強いマインドを持ち、それでいて謙虚で、心優しく、いつも笑顔な愛されキャラだったのだとか。

その後、段階的に福島へ拠点を戻ったことで、三戸選手は福島県立ふたば未来学園高等学校へ進学します。

2017年から年代別のサッカー日本代表に選出され、2018年のAFC U-16選手権では、準決勝のオーストラリア代表戦で得点を決め、同大会の優勝に貢献しました。

2018年10月AFC U-16 選手権 準決勝に出場する三戸選手(hairul_nizam / Shutterstock.com)

2019年にはFIFA U-17ワールドカップに出場するU-17日本代表にも選出されたりと、日本代表として活躍しました。

アルビレックス新潟からオランダ移籍

三戸選手は、親御さんからセカンドキャリアを心配されていたこともあり、プロを目指しながら大学へ進学することも視野に入れていたそうですが、アルビレックス新潟からオファーがあり、進学せずにプロへ進みます。

スペインサッカーが好きだった三戸選手は、当時のアルビレックス新潟の監督がスペイン人(アルベルト・プッチ・オルトネダ監督)だったことも決め手になったそうです。

2020年9月にアルビレックス新潟への加入が内定、2021年にJ2でプロデビュー。2022年はチームのJ1昇格に大きく貢献しました。

そして2023年、クラブ初となるベストヤングプレーヤー賞を受賞!

さらに、2023年12月22日、 エールディヴィジのスパルタ・ロッテルダム(オランダ)へ完全移籍することが発表されました。契約期間は2028年6月末までの約4年半です。

三戸舜介に彼女は誰?両親や兄弟など家族構成も

三戸舜介選手は、ご両親とお兄さん・妹さんがいることがわかっています。
また、結婚はしておらず、彼女の存在は今の不明です。

越後薬草 presents スペシャルウィークも「SHINZOKU」を配信!選手に最も身近な親族の方々の想いを届けるために、広報部がインタビュー!今回は三戸舜介選手のお父様に登場いただきます。三戸選手のお父様、三戸修以知(しゅういち)さんは山口県宇部市のご出身。現在は三戸選手のお兄さん(21歳)、妹さん(16歳)と3人で、山口から三戸選手を温かくも厳しく見守り続けています。今回は、そんな三戸選手のお父様に“みとちゃん”こと三戸舜介選手の幼少期からこれまでについて、お話をうかがいました。


---三戸選手は2歳上のお兄さん、3歳下の妹さんに挟まれた三戸家の次男坊。小さいときはどんなお子さんでしたか。

三戸選手の両親

三戸選手のお父さんの名前は、三戸修以知(みと・しゅういち)さん。

ご両親はパリ五輪のリーグ戦初戦に観戦するために、パリへ渡航すると三戸選手が答えていることから、お母さんがご健在だということはわかっていますが、お母さんについても詳しい情報はありませんでした。

お父さんの三戸修以知さんは、サッカー経験はないそうですが、三戸選手がサッカーを始めたことで研究するようになったのだとか。

三戸選手はお父さんと頻繁に連絡をとっており、うまくいかないときも励ましてくれたり、サッカーについては素人なのに、監督と同じアドバイスをくれたりと、なかなか鋭い助言なのだそうです。

また、お父さんは海外へ行くのは初で、リーグ戦初戦観戦のためにパスポートを取得。お父さんにとって初海外となるのがオリンピックの舞台となるのは嬉しいのではないかと三戸選手は語っています。

お父さんが試合を観にくるとなかなか活躍できないと過去には語っていますが、パリ五輪の初戦では、三戸選手は2ゴールをあげるなど大活躍でした。

筆者の心の声

これもお父さんの応援と助言のおかげかもしれませんね!

三戸選手の兄妹

三戸選手には、2歳年上のお兄さんと3歳年下の妹さんがいます。

お兄さんは、小学生の時に三戸選手と一緒に原サッカースポーツ少年団へ入り、サッカーをしていました。

この写真の、後ろにいるのはお兄さんでしょうか?確証はないのですが、三戸舜介選手と顔がそっくりすぎます!!

お兄さんは2024年現在23歳、妹さんは18歳と考えられますが、残念ながらお二人の情報の詳細はありませんでした。

また情報が入り次第、追記していきたいと思います。

まとめ:三戸舜介のwiki経歴プロフ!彼女は誰?両親や兄弟など家族構成も

三戸舜介選手は、初戦リーグ戦では2点のゴールをあげ、幸先よく始まったパリオリンピック。

これからのパリでの活躍が期待できますね。

また、五輪が終わってからも、オランダでの活躍も期待できますし、今後また追っていきたいと思います。

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