【米大統領選】バンス上院議員のwiki経歴プロフ!壮絶すぎる生い立ち

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2024年11月5日の米大統領選で、共和党候補のトランプ氏は副大統領候補にバンス上院議員を指名しました。

バンス上院議員(J.D. バンス/J.D. ヴァンス)は、自叙伝「ヒルビリー・エレジー」で知られており、この著書は映画化されネットフリックスなどで配信されています。

バンス上院議員とはいったいどのような人物なのでしょうか?

副大統領候補に指名された同氏は、アメリカの白人貧困層・労働者階級の家庭に育ち、壮絶で過酷な生い立ちでした。

今回は、そんなバンス上院議員のwiki経歴プロフをまとめました。

目次
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【米大統領選】バンス上院議員のwiki経歴プロフ!壮絶すぎる生い立ち

名前:James David Vance/ジェームス・デービッド・ヴァンス/J.D. ヴァンス
出生時の名前:James Donald Bowman
生年月日:1984年8月2日(40歳 2024年時点
出身地:オハイオ州ミドルタウン
職業:オハイオ州選出の連邦上院議員、弁護士
学歴:ミドルタウンハイスクール
   オハイオ州立大学
   イェール大学ロー・スクール

バンス上院議員は、「ラストベルト(さびついた工業地帯)」と呼ばれる地域のひとつ、オハイオ州ミドルタウンで生まれ育った、スコッツ=アイリッシュ系アメリカ人です。

では、さっそく生い立ちを詳しくみていってみましょう。

幼少期−貧困・虐待・母の薬物依存

オハイオ州ミドルタウン

バンス氏は、オハイオ州ミドルタウンで、父ドナルド・ボウマン(Donald Bowman)と、母ビバリー・バンス(Beverly Vance)の間に生まれました。

住んでいたのはオハイオ州でしたが、バンス氏にとって真の故郷と呼べる場所は、祖父母の故郷であるアパラチア山脈の町、ケンタッキー州ジャクソンでした。

毎年のように訪れ、親戚たちと過ごしたその田舎(ヒルビリー)は、独特の文化風習を守る閉鎖的な地域ではあるが、自分がその人々の一員であることに誇りを感じていたのだそうです。

ヒルビリーとは?
「田舎者」という蔑称。発展から置き去りにされたプアホワイトを指す言葉。

そして、バンス氏が幼いころに両親が離婚し、母のビバリー(ベヴ/Bev)さんは、看護師をしながらバンス氏と5歳年上のバンス氏の姉リンジー(Lindsey)さんを育てていました。

母のビバリーさん

しかし、結婚と離婚を繰り返し、バンス氏は父親が変わるたびに住む場所を転々とさせられていたそうです。

母のビバリーさんは薬物依存の問題を抱え、情緒不安定。愛情はあるものの、態度はたびたび豹変し、虐待をくりかえし、逮捕されたこともありました。

そんな環境の中でバンス氏を支えたのは、祖母のボニー・バンス(Bonnie Vance)さん。

祖母のボニーさんと、幼い頃のバンス氏

強くて口が悪くて恐ろしい、口うるさくて、正義感が強く、そして賢い祖母は、バンス氏と一緒に暮らし安定した環境を与えました。

母からの虐待や、悪い友達から距離を取らせ、非行に走るのを食い止め、勉強することやアルバイトをすることをなどを叩き込んだのは、祖母でした。

祖母と暮らしたことで、バンス氏は大きく成長します。

ちなみにバンス氏は、出生時は実父の姓である「ボウマン(Bowman)」、のちに母の三番目の夫「ハーメル(Hamel)」と名乗り、最終的に祖父母の姓「バンス(Vance)」になりました。

母のビバリーさんは長年、薬物依存症の問題を抱えていましたが、映画「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」のクレジットで、「6年間薬物を絶っている(2020年公開時点)」と記されていました。

青年期−海兵隊入隊後に進学

大学進学を希望していたものの、進学する術(すべ)がわからなかったバンス氏は、いとこのレイチェル(Rachel)さんの勧めで2003年、海兵隊に入隊します。

2003年、従姉妹のレイチェルさん(左)と海兵隊の帽子をかぶる祖母(右)

入隊したバンス氏は、規律正しい生活と、健康や衛生意識、金銭管理、そして強い意志を持って行動するということを学びます。

海兵隊では イラク戦争では第2海兵航空団の広報部に所属。戦闘特派員(軍事ジャーナリスト)として活躍しました。

海兵隊の任務を終えたバンス氏は、オハイオ州立大学に進学。

オハイオ州立大学(Ken Wolter / Shutterstock.com)

2009年、政治学と哲学の学士号を優秀な成績で取得、また、オハイオ大在学中に共和党のオハイオ州上院議員ボブ・シューラーの下で働いていました。

オハイオ州上院議員Bob Schuler

そしてバンス氏はオハイオ大卒業後、イェール大学ロースクールに入学、2013年に卒業。
法学博士号を取得しました。

イェール大学ロースクール(Michael Vi / Shutterstock.com)

イェール大学では、ロー・ジャーナルの編集者も務め、エイミー・チュア教授から、バンス氏自身の「回顧録」を書くように勧められたのだとか。それが「ヒルビリー・エレジー」出版につながります。

キャリア−法律家から政治家へ

ロースクールを卒業後バンス氏は、上院議員や地方裁判所の判事、法律事務所などで働いた後に、サンフランシスコに移り、ベンチャーキャピタリストとして、ピーター・ティールが経営する「Mithril Capital」で働きました。

そして2016年、バンス氏は、自伝「ヒルビリー・エレジー( A Memoir of a Family and Culture in Crisis)」を出版。

バンス氏が育ったアパラチア地方の価値観と、社会的問題との関連が描かれ、話題になりました。

ニューヨーク・タイムズ紙は、2016年の大統領選で、「トランプの勝利を理解するのに役立つ6冊の本のうちの1冊」と評しています。

そして同年オハイオに戻り、ラストベルトに広がる薬物依存問題への対策や、恵まれない子どもたちが夢を実現しやすくすることを目的とした非営利団体「Our Ohio Renewal」を立ち上げる計画を発表しました。

2022年11月、ピーター・ティールからの1,000万ドルを超える献金により、出馬。民主党候補のティム・ライアンを破って、オハイオ州選出の上院議員に当選しました。

そして2024年7月15日トランプ氏は、J.D.バンス上院議員を副大統領候補に選出しました。

おまけ−私生活など

インド系のウシャさんと結婚

エール大学時代、インド系のウシャ・チルクリ(Usha Chilukuri)さんとの出会い、2014年にケンタッキー州で異宗教間結婚(ウシャさんはヒンズー教、バンス氏はカトリック)をしました。

ウシャさんは訴訟弁護士。バンスさんとの間には、2017年にユアン(Ewan)、2020年にヴィヴェク(Vivek)、2021年にミラベル(Mirabel)の2男1女が生まれています。

ハットフィールド家の遠い親戚

ハットフィールド家、1897年撮影

「ハットフィールド家とマッコイ家の争い」は、19世紀実際にあった家族抗争で映画にもなっていますが、その家族抗争の引き金となった殺人事件を起こしたのがジム・バンスという男でした。

ジム・バンスは、実はJ.D.バンス氏の祖父の遠い親戚なのだとか。1800年代、ジムはハットフィールド家の誰かと結婚してハットフィールド家の一員でした。

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まとめ【米大統領選】バンス上院議員のwiki経歴プロフ!壮絶すぎる生い立ち

いかがでしたでしょうか。

J.D.バンス上院議員の半生をまとめてみました。

トランプ氏から副大統領候補に指名された理由が、なんとなく読めますね。

トランプ氏はニューヨークで裕福な家庭で育った一方で、バンス氏は若く、白人の貧困家庭で労働階級出身、さらに妻のウシャさんはインド系。

激戦州の白人労働者の地盤を固める狙いもあるのかもしれませんね。

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