【かわいい】早田ひなのwiki経歴プロフ!美人の母や姉など家族構成も

2024年夏季オリンピック(パリ五輪)に出場の卓球女子の早田ひな選手。いよいよパリオリンピック目前で活躍が期待され、話題となっています。

早田ひな選手は、インスタグラムでもプライベートの様子も投稿していて、アイドルみたいにかわいい姿も印象的。

そんな早田ひな選手のwiki経歴プロフィールと、これまた美人と噂のお母さんやお姉さんがいるということで、家族構成や画像もあわせて調査しました。

目次

早田ひながかわいい!wiki経歴プロフ!

名前:早田ひな(はやた・ひな)
生年月日:2000年7月7日(24歳 2024年時点
出身:福岡県北九州市戸畑区
学歴:北九州市立鞘ヶ谷小学校
   中間市立中間東中学校
   希望が丘高等学校
身長:167センチ
血液型:A型

早田ひな選手は、福岡県北九州市戸畑区出身。地元の石田卓球クラブに通っていた姉の影響を受け、4歳の時に卓球を始めました

石田卓球クラブで才能を見出された幼少期

早田ひな選手は、4歳の時に石田卓球クラブに入り、卓球を始めました。

同クラブに入って約半年後、コーチの石田千栄子さんは、右手でラケットを握り安定しないフォームでプレーしていた早田選手に対し違和感を感じたのだとか。

どちらの足でとは言わずに「ケンケンをしてみて」と問うと、まだ幼い早田選手は右足を軸にケンケンをしました。

イメージ写真

ケンケンは、一般的に利き手と逆の足で跳ぶことが多いため、石田千栄子コーチは、早田選手の利き手が左手であるということを直感したそうです。

コーチは早田選手のお父さんにも相談。お父さんも左利きということもわかったことから、ラケットを左手で持ちかえるように指導しました。

早田選手が幼い時に素質を見抜いて指導に当たっていた石田卓球クラブのコーチは次のように語っています。

やっぱり、素直で明るい子が伸びます。
世界で戦うには身長(背の高さ)も必要ですが、ひなはそのために毎日牛乳1リットルを飲み、身長を伸ばすために睡眠がいいと聞くと、昼寝もサボらずしていましたからね(笑)

週プレニュース

その後、早田選手は地元福岡県の、北九州市立鞘ヶ谷小学校→中間市立中間東中学校→希望が丘高等学校と進学しますが、その間一貫して石田卓球クラブのコーチ陣が早田選手の指導を行っていました。

早田選手に指導していた石田一家(石田卓球クラブ)

早田選手を指導してきた石田家
4歳〜小2:石田千栄子
小4〜中2:石田弘樹
中3〜:石田大輔(専属)
高校卓球部総監督:石田眞行
高校卓球部監督:石田真太郎

石田大輔コーチ

海外遠征が多くなってきた中学3年生の頃から、石田家三男の大輔氏が会社員を辞めて早田選手の専属となりました。卓球だけでなく栄養面もサポートしています。

“みうみま”の影に隠れる中学・高校時代

早田選手は、「みうみま」の愛称でおなじみの平野美宇選手と伊藤美誠選手とは、同い年。

3人は、幼い頃からライバルでもあり仲の良い友達

しかし「みうみま」がワールドツアー最年少優勝、リオオリンピックで銅メダル獲得などで脚光を浴び、早田選手は2人の偉業の影に隠れてしまっていました。

しかし、2017年17歳の時の早田選手は、こう語っています。

自分は元から置いていかれているので、「最後に抜けばいいや!」とおもっているだけ。
美誠が五輪で銅メダルを獲ろうが、美宇が優勝しようが 抜いたらいい

TV東京「卓球ニッポン金メダルへの絆」より

早田選手は、その後東京オリンピックではリザーブメンバーとして帯同。故障者が出た場合の単なる交代メンバーとしてではなく、出場選手のサポートを行っていました。

東京オリンピックでメダルを獲得した伊藤美誠選手は、

東京オリンピックで早田選手は、たくさんサポートしてくれて、アドバイスもくれた。
早田選手がいてくれたから絶対に金、銀、銅を獲ることができた。
コーチ、監督ができない部分を選手が補ってくれた。

と、語っています。

いつか抜いたらいいという早田選手ですが、ライバルを蹴落とすのではなく、自分が出場できなかったオリンピックでも仲間(ライバル)をサポートするという精神力というのは、計り知れないものもあります。

東京五輪では補欠でありましたが、2024年パリオリンピックでの出場権を獲得

どんなに調子が悪くても弱音を吐かなかった早田ひな選手。石田大輔コーチは「僕が見ていても、この2年間、1日たりとも手を抜かずにやり、人としても成長できた」と語っています。

早田ひなの美人の母や姉など家族構成も

早田ひな選手は、ご両親とお姉さんの4人家族です。さらに家族全員イケメン&美女

ではご家族について、画像付きで詳しく紹介していきたいと思います。

元サッカー選手の父


早田力(はやた・いさお)
1972年生まれ
福岡県立小倉工業高等学校卒

早田選手のお父さんは、社会人サッカーチームの元選手でした。
サッカー選手の頃にアキレス腱を切る怪我をしたと早田選手のX(ツイッター)でも語られています。

会社員のお父さんは、仕事があるために、大会会場に足を運んで応援することはめったにできないのだとか。

無口であまり表情を表に出さないタイプなんですけど、今年の全日本で優勝した時に、お姉ちゃんが『あのお父さんが泣いて喜びよったよ!』と聞いて本当にメチャクチャうれしかったです。
福岡に帰ったときにはまた一緒に映画を見に行ったり、プリクラ撮ったり、ランニングしたりしようね。それまではハムスターのチュータに遊んでもらっててください。

日本生命インスタグラム

とこのように、早田ひな選手は、父の日に合わせてお父さんへのメッセージを発しています。

筆者の心の声

その言葉からも、父娘が仲の良い様子が伺えますね。

栄養面をサポートする母


早田康恵(はやた・やすえ)
1973年(または1974年)生まれ

お母さんは、早田選手に可愛い女の子に育って欲しいという思いを込めて「ひな」という名前をつけたそうです。でもとんでもなくオテンバ娘になってびっくりしたのだとか。

そしてお母さんは、日々、早田選手の栄養面をしっかりサポートしています。

早田さんが中学生の頃から栄養学を学び、アプリを使った食事管理や食育を行い、早田選手が海外遠征に行った時は、食事の写真を撮っておいてもらい、徹底的に管理しています。

しかし現地の食事の影響から、スタミナがもたなかったり、不便なホテル生活で睡眠時間に影響がでたり、そのような懸念から、2018年頃からお母さんも現地に帯同するようになりました。

お母さんは、海外でも使える炊飯器や、海外へ持っていいける食事などをリサーチし、「世界を制するための“ひな強化食”」を持って早田選手を支えてきました。

今回のパリ五輪でも早田選手に帯同し、食事面をサポートする予定のお母さん。お母さんが作る日本食がたべられるから嬉しいと早田選手はインタビューで答えています。

栄養士の姉


早田すみれ
1994年生まれ
東筑紫短期大学卒

家庭内ではお母さんと一緒に、お姉さんのすみれさんも早田選手の食事を完全サポートしているのだそうです。

2018年6月にご結婚されているので、姓は変わっていると考えられます。

早田選手が卓球をするきっかけとなったお姉さんですが、いまでは卓球ではなく、栄養士となり早田選手をサポートする側にまわりました。

筆者の心の声

早田ひな選手とも双子みたいにそっくりで、とても美人!!

おまけ:卓球経験者の祖母

早田選手のご両親は卓球未経験ですが、おばあさまは経験者なのだそうです。(父方、母方かは不明)

2017年にドイツに遠征に行った際、早田選手とお母さんといっしょに写真に写るおばあさま
お母さんと言っても過言でないくらい、とても若々しいですね!

まとめ:【かわいい】早田ひなのwiki経歴プロフ!美人の母や姉など家族構成も

家族全員と石田コーチ一家、そして仲間にも支えられ成長してきた早田選手。

メダル候補期待がかかるパリオリンピック、ぜひ注目したいですね!

今後も追いかけていきたいと思います。

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