【画像あり】元ストリッパー萩本澄子のwiki経歴プロフ!死因は肺がんだった

萩本澄子アイキャッチ

“欽ちゃん”こと萩本欽一さんの妻・萩本澄子さんをテーマとしたスペシャルドラマが、日本テレビの「24時間テレビ47」で放送されるとのことで話題となっています。

萩本澄子さんと萩本欽一さんと出会ったのは、澄子さんが浅草でストリッパー(踊り子)をやっていた頃でした。

結婚して3人の息子に恵まれ、82歳で亡くなりましたが、死因は肺がんを患っていたからでした。

そんな萩本澄子さんの人生や、萩本欽一さんとの馴れ初めなど、wiki経歴プロフィールをまとめました。

目次

【画像あり】元ストリッパー萩本澄子のwiki経歴プロフィール

萩本澄子のwiki経歴プロフィール

萩本澄子プロフィール

名前:萩本澄子(はぎもと・すみこ)
旧姓:畠山
生まれ年:1938年(昭和13)頃(詳細不明)
出身地:不明
職業:元ストリッパー
所属:東洋興業
芸名:高峰みゆき

萩本欽一との出会い

萩本澄子さんの旧姓や、出身地などは不明です。
澄子さんは、家業に失敗し破産した家の家族を助けるために、18歳からストリッパー(踊り子)になりました。

澄子さんは、東洋興業に所属し、「高峰みゆき」という名前で舞台に立っていました。

東洋劇場

同じ東洋興業所属だった萩本欽一さんと出会ったのは、浅草の東洋劇場。
当時萩本欽一さんは18歳の新人で、高峰みゆき(澄子)さんは一番人気の看板女優でした。

昭和30年〜50年代頃、駆け出しのコメディアンたちは、浅草のストリップ劇場などで修行を積み、金回りの良い踊り子に金銭的な援助を受ける“ヒモ”生活をしていたのが、よくあるパターンでした。

面倒見の良かった澄子さんも、素質があると見込んだ萩本欽一さんを弟のようにかわいがり、金銭的な援助をしていて、自然と男女の仲に。

そして数年後、澄子さんが24歳の時、豆腐屋の2階の四畳半で、欽一さんと一緒に暮らしはじめました。

萩本欽一との別れと再会

萩本欽一さんがコメディアンとして徐々に売れ始めても、しばらくは甲斐甲斐しく面倒をみていた澄子さんでしたが、萩本さんと坂上二郎さんのコンビ「コント55号」が大ブレークした昭和42年頃、2人は別れたのだそうです。

男が売れると女の元を去っていく・・・踊り子とコメディアンの関係は、それが常であったのです。

コント55号

別れたとはいえ、たびたびマスコミに嗅ぎつけられていた澄子さんは、萩本さんに迷惑がかからないよう、踊り子を辞めて浅草を去り、居場所を変えてスナックなどで働いていたのだとか。

しかし、大ブレイクした萩本欽一さんの結婚の噂などが週刊誌で報じられ、傷心の澄子さんは、自暴自棄になっていました。

萩本欽一さん自身も、自分から別れを告げたとはいえ気がかりに思い、澄子さんを探し出し、4年ぶりに再会

当時、湘南に住んでいた澄子さんでしたが、萩本欽一さんはこれまで受けた恩を返すように金銭的な援助を始め、次第に心の拠り所となり、忙しい合間を縫って澄子さんの元へ通うようになります。

そして、萩本さんの「(澄子さんを)幸せにしてあげたいけど、どうしたらいい?」の問いに、澄子さんは「それならあなたの子供がほしい」と答えたのだそう。

萩本欽一の電撃結婚発表

それからすぐに長男を出産した澄子さん。しかし、また澄子さんは萩本さんの前から姿を消しました

澄子さんが姿を消したのは、売れっ子の萩本さんに迷惑がかからないようにという意図だったのかもしれません。

しかし、澄子さんの居場所がわからずに困った萩本さんは、勝手に記者会見を開いて「実はぼく、結婚して子どもがいます」とNHKで発表。

婚姻届けを澄子さんに送ってあるものの、それを役所に提出されているかどうかもわからず、結婚発表することも澄子さんに知らせていませんでした。

この記者会見がプロポーズのようなもので、澄子さんは「芸能人の奥さんになるのなんていや」としながらも、承諾しました。

萩本欽一との結婚生活

萩本澄子と家族

萩本欽一さんとの間には、3人の息子さんに恵まれた澄子さん。

  • 長男・一童さん(1975年12月2日生まれ)
  • 次男・越史さん(1978年生まれ)
  • 三男・征九郎さん(1980年生まれ)

しかし、澄子さんと欽一さんの結婚生活は、世間一般で言う「普通の結婚生活」とは全く違うものでした。

三男が生まれたときに、神奈川県二宮町の海の見える山の上に家を建てました。

しかし、欽一さんは東京で何本もテレビ番組を抱えていて、たまにしか家に帰れませんでした

スミちゃんは「男は好きな仕事に突っ走るのが一番。私と子どものことは気にしなくていいから」って、ぼくを放し飼いにしてくれた。おかげでぼくは、めったに家に帰らないまま、笑いのことだけを考えていられたし、たくさんの人気番組も作れた。

介護ポストセブンより引用

と、萩本欽一はインタビューで語っています。

澄子さんは神奈川に住み、欽一さんは東京で生活。
澄子さんは欽一さんに、仕事に集中させてくれていたのですね。

また、萩本欽一さんとの結婚生活のエピソードは、次のようなものがあります。

  • 欽一さんが子どもと遊んでいるとき、澄子さんは「全然楽しそうじゃないから無理して父親のふりをしなくていい。笑いのこと考えてなさい」と言った
  • 澄子さんは、家にいるときでも、欽一さんに会うときは綺麗にお化粧をしていた
  • 澄子さんは本当はお酒が好きだったのに、欽一さんが飲めないので、彼の前では飲まなかった
  • 息子が「お父さんのどこが好きだったの?」と尋ねると、澄子さんは「好きじゃない、ずっとファンだった」と答えた

萩本欽一さんは、澄子さんについて、最大のファンでいてくれて、昔と変わらず「コメディアンをひとり預かっている」という感じだったのかもしれないとも語っています。

萩本欽一さんは「普通、夫婦は支えあうものというが、うちは応援し合う」とも語っています。

萩本澄子の死因は肺がん

萩本澄子さんは2020年8月下旬、肺がんで神奈川県内の病院で亡くなりました。82歳でした。

2016年にがんが発覚し、治療の効果で一時はがんの進行が止まりましたが、その間に何度か転倒して骨折。2020年8月上旬に骨折で入院してからは、徐々にに弱っていってしまったのです。

派手なことを好まない澄子さんは、質素な葬儀を望んでいて萩本欽一さんと3人の息子さん、孫、そして澄子さんの妹らの約10人の家族葬で見送られ、また、1人で入るお墓を用意していました。

亡くなる数日前に会いに行った萩本欽一さんは、「子どもたち、あいつらみんないい子だね。いい子に育ててくれて、ありがとうね」と最後にお礼が言えたそうです。

まとめ:【画像あり】元ストリッパー萩本澄子のwiki経歴プロフ!死因は肺がんだった

萩本澄子さんの人生とwiki経歴プロフをまとめました。

普通とは違う夫婦の在り方でしたが、ずっとお互いを想い合ってきたのがよくわかりますね。

伊藤淳史さんが萩本さんを演じ、波瑠さんが澄子さんを演じるスペシャルドラマも楽しみです。

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