上田敬博医師のwiki経歴プロフ!出身や学歴、妻や父との関係まとめ

救急・災害医療のエキスパートであり、熱傷治療のスペシャリストである上田敬博医師

上田敬博医師はどんな経歴の持ち主なのでしょうか?

出身地、経歴、学歴、結婚して妻はいるのか、父親との関係など、家族構成をまとめてみました。

目次

上田敬博医師の経歴は?出身や学歴

上田敬博医師のプロフィール:出身は福岡県

名前:上田敬博(うえだ・たかひろ)
職業:医師
年齢:52歳(2024年4月時点)
生年月日:1971年12月17日
出身地:福岡県福岡市

座右の銘:雑草魂
影響を受けた人物:父、 平尾誠二(元ラグビー日本代表監督)
趣味:ラグビー
好きな小説家:平野啓一郎
好きなミュージシャン:ビリー・ジョエル
マイブーム:ウクレレ、料理
マイルール:チャレンジすることをためらわない
宝物:ダン・カーター(元オールブラックス)にサインしてもらったラグビーボール

上田敬博医師は、福岡市で、九州大学勤務医の一家に生まれました。
その後幼稚園のとき、父親の医院開業のため、北九州市に一家で移住します。

幼い頃は、かけ算を覚えるのがクラスで一番遅く、スポーツもそれほどできるわけでもない自分に劣等感を抱いていたそうです。

学歴と経歴は

鳥取大学医学部附属病院

上田敬博医師は、近畿大学医学部医学科卒業し、現在は、鳥取大学医学部附属病院の高度救命救急センター教授です。

1990年福岡大学附属大濠高校 卒業
1994年近畿大学医学部 入学
1999年近畿大学医学部医学科 卒業

小学校4年生から6年生まではサッカー部に所属、中学からは平尾誠二さんに憧れてラグビー部に所属していました。

福岡大学附属大濠高校では、生徒会生活委員長を勤めていたそうです。
ちなみに、同高校は偏差値62〜71、卒業生には博多華丸さん(漫才師)や池松壮亮さん(俳優)もいます。

高校卒業後は、医師を志すべく九州大学医学部を受験するも不合格。三浪の末に近畿大学医学部へ進学しました。
(大学進学後は、ラグビー部には所属せずに、大阪の社会人のクラブチームでプレーしていたそうです)

1999年東神戸病院 研修医
2000年神戸協同病院 研修医
2001年大阪府済生会千里病院千里救命救急センター レジデント
2004年神鋼加古川病院循環器科 レジデント
2005年江戸川病院循環器科 レジデント
2006年兵庫医科大学病院 救急・災害医学教室(救命救急センター)助教
2010年兵庫医科大学病院救命救急センター 副センター長
2014年兵庫医科大学医科学研究科(生体応答制御系)博士課程 修了
2016年Robert Wood Johnson Univ.Hospital 外傷センター
2018年近畿大学医学部附属病院 救命救急センター 講師
近畿大学医学部附属病院 熱傷センター 設立
2020年鳥取大学医学部附属病院 救命救急センター 教授
2021年鳥取大学医学部大学院医学系研究科 救急災害医学 教授
2022年鳥取大学医学部附属病院 高度救命救急センター 教授

東神戸病院で救急医療に巡り合い、救急医として7年目になって熱傷治療を手がけるようになりました。

受賞歴
2012 カンボジア王国友好勲章、コマンドール カンボジア王国
2022  鳥取大学学長賞(先進的取り組みによる救急医療への貢献)

資格
医学博士、日本DMAT 隊員、日本救急医学会救急専門医
インフェクションコントロールドクター

上田敬博医師の妻や父との関係は?

上田医師の父親は、九州大学出身の医師。
母親は同志社大学出身だそうです。

あまり語られてはいませんが、もいたようです。

また、父親の弟も妹も医者で、その子供たちも医学部へすすんだそうです。

妻や子供はいない

上田敬博医師は結婚しているのでしょうか?
ご本人のX(旧ツイッター)などをリサーチしてみましたが、奥さんや子供がいるという情報は、今のところありません。

もしかしたら公表していないだけの可能性もありますが、もし今後わかりしだい追記していきたいと思います。

しかし、心血を注いで医療に取り組む上田医師は、現在所属している鳥取大救命センターのチームを「自慢の息子」のように感じているようで、自画自賛しています。

上田医師にとっては、チームを家族のように思われているのかもしれませんね。

父は越えられない壁

上田医師にとって、父親はどのような存在だったのでしょうか?

男の子にとって父親は最初の壁である。上田の前に立ちふさがったのは、とてつもない高い壁だった。
「九(州)大に行くような賢い人で、IQが高くて、何かを読んだらすぐに覚えてしまう。五カ国語ぐらいできるんですよ。外科(医)出身で、手先が器用」

鳥取大学医学部附属病院 広報誌

上田医師は、父の影響から医学の道をめざすものの、優秀な外科医の父に比べ、劣等感を感じていたといいます。

近畿大学に入学してからは、同大学は私立大学だったため、国立大学志向が強かった父親から「医者になっても認めへん」と言われたそうです。

そんな父親を見返すために勉学に打ち込み、一般教養の基礎医学も臨床医学も全部、成績は良かったそうです。

2001年に父親は他界しますが、今でも上田医師は父親への思いをXで語っています。

上田医師にとって父親の存在は、亡くなった今でもとても大きく、越えられない存在であり、越えようとあがき続ける存在であると語っています。

まとめ:上田敬博医師のwiki経歴プロフ!出身や学歴、妻や父との関係

いかがでしたでしょうか。

上田敬博医師は、福岡県出身、近畿大学医学部を卒業し、鳥取大学医学部附属病院の教授です。

父親という大きな存在が心にある限り、上田医師は医学界で邁進し続けるのでしょう。

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