能登半島の朝市通りで暮らしていた輪島塗八代目の桐本滉平さんが、フジテレビの番組「ノンフィクション」で取り上げられ話題になっています。
2024年1月に能登半島を襲った大地震の影響で、ご自身の飼い猫を探すうちに、被災地の「猫捜索隊」の中心的な存在に。
そんな桐本さんは、江戸時代から続く輪島塗の「輪島キリモト」の8代目。
今回は、桐本さんのwiki経歴プロフや、ご両親・兄弟など家族構成について詳しく調査してまとめました。
【輪島塗】桐本滉平のwiki経歴プロフ!
名前:桐本滉平(きりもと・こうへい)
生年月日:1992年10月1日(32歳 2024年時点)
出身地:石川県輪島市
在住地:石川県輪島市河井町
学歴:日本大学商学部
桐本滉平さんは、石川県輪島市の江戸時代より漆器製造販売業を営む「輪島キリモト」の8代目。
さっそく桐本さんの幼少期から現在までの経歴を追っていきたいと思います。
幼少期〜18歳
桐本さんは、石川県輪島市で、江戸後期の1700年代に「塗師屋(ぬしや)」として創業した、輪島塗の老舗「輪島キリモト」でを家業とする家に生まれました。
輪島塗とは
「素地が木地であること」「布着せしていること」「地の粉下地であること」この3つの条件を満たし、輪島で制作される漆器が輪島塗と呼ばれる。
幼少期は、自然豊かな土地でクワガタをとったり秘密基地をつくったりと、外遊び好きの少年。
桐本さんの通っていた小学校、中学校、高校については詳細はわかりませんでしたが、小学校低学年から中学1年まで公文式で、算数・数学・英語を習っていたそうです。
7代目である父のことは尊敬していたそうですが、18歳ころまでは、家業を継ぎたくないと考え、輪島を出たいと思い、夢を描くこともできないまま、理系を目指していたそうです。
大学(日大商学部)〜パリ留学
東日本大震災を転機に、その土地が生み出す価値や伝統、残すべき日本の価値に気づいた桐本さん。
命をつなげてくれた日本という土地、そして先祖代々が輪島で漆に向き合ってきたからこそ、今の自分があり、その恩返しをしていこうと決心し、そして自分が伝統を伝えていかなければという使命感をが湧いてきたといいます。
その使命を果たすため、そして家業を継いで「売る仕事」するために、マーケティングを学ぼうと一浪して日本大学商学部へ進学します。
大学では、「輪島塗のマーケティング研究」のゼミで充実したゼミ活動をしていましたが、第二の転期が訪れます。
文部科学省「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」に応募し、フランス・パリ留学が決定。
パリのインターン生活では、日本文化を発信するギャラリーで販売を担当。「輪島塗」という名前だけでは売れず、試行錯誤して「買い手の感性に寄り添うこと」が重要だと気づいたと語っています。
帰国後〜ブランド立ち上げ
桐本さんは帰国後、お父さんの元で漆芸品の販売・企画の経験を積み、2018年3月、25歳の時にご自身のブランド「IKI -by KOHEI KIRIMOTO」を立ち上げました。
能登半島地震〜現在(猫捜索の活動中)
2024年1月1日、能登半島を襲った大地震で、桐本さんお自宅と工房を兼ねた建物は倒壊し、火災で全焼してしてしまいました。
ご自宅にあった輪島塗の道具や販売予定の作品も、すべて燃えてしまったそうです。
ご自身やご家族は外出中だったため無事でしたが、自宅で飼っていた3匹の猫は行方不明に。
そしてご自身の猫を探している時に、見知らぬ猫を保護することも増え、迷子の猫を飼い主の元へ届けたりと、自然と活動が大きくなりました。
未だ捜索中の輪島の飼い猫たち。
— 桐本滉平 (@kohei_kirimoto) May 21, 2024
目撃情報お待ちしております。 pic.twitter.com/Xp1ER53IyG
地震から1ヶ月間は家も仕事も財産もすべて失ってしまって、これからの未来も全く想像できない状況だった。だから、保護猫活動が生きる原動力になったのかもしれない。活動を通して他の被災者の人ともコミニュケーションできたし、結果的に『自分のため』になっていたんだよね
イーアイデム ジモコロ
震災から半年あまり経った今、少しずつ復興している能登半島です。
現在、桐本さんは、輪島塗の再建を目指して奮闘中です。
桐本滉平の両親や兄弟など家族構成は?
桐本滉平さんは、ご両親、弟、妹、そして奥さん(嫁)がいらっしゃいます。
7代目「輪島キリモト」の父
父
桐本泰一(きりもと・たいいち)
1962年生まれ
石川県輪島市出身
筑波大学卒
輪島キリモト七代目(漆器製造、漆器木地製造)
お父さんは、江戸時代から続く輪島塗の「輪島キリモト」の7代目。
輪島塗は徹底した分業生産で、各工程に専門職人がおり、ご実家の「輪島キリモト」は、その土台の工程を担っていたそうですが、7代目お父さんが、デザイン提案から仕上げまで行う一貫生産販売体制をとるようになったのだとか。
産地内の創り手たちとの交流、都市部で暮らしを愉しむデザイナーとの取り組み、生活の中で木や漆が当たり前に使ってもらえるようにと、さまざまな可能性に挑戦しています。
kirimoto.net/
職人を支える母
桐本滉平さんのお母さんは、大阪の出身で、お父さんとの結婚を機に石川県輪島へ移ったそうです。
母
桐本順子(きりもと・じゅんこ)
大阪出身
もともとは、子供に英語を教える仕事をしたかったそうなのですが、家業「輪島キリモト」で、お父さんや職人さんたちを支えて来たのだとか。
冷静で客観的なお母さんは、猪突猛進型のお父さんが何をしたいのか、噛み砕いて教えてくれたおかげで、家業のことをよく理解できたと、滉平さんは語っています。
弟は会社員
桐本滉平さんには、東京で会社員をされている弟さんが一人います。
弟
桐本瑛生(きりもと・えいき)
東京農業大学卒
しかし、弟の瑛生さんは、ご自身のインスタグラムで、家業の「輪島キリモト」のオンラインショップについての宣伝などもされているようです。
美大卒の妹
桐本滉平さんには、金沢美大卒で、6歳年下の妹さんもいることがわかっています。
輪島市に在住かどうかなど、詳細はわかっていません。
6つ下で大学4年の妹が同級生たちと"いずれ地元にもどってみんなで暮らそう"という話で盛り上がっているらしい。僕の世代ではなかった話。お兄ちゃんうれしい。
— 桐本滉平 (@kohei_kirimoto) April 15, 2020
ただ、滉平さんは妹さんについて時々X(旧ツイッター)にポストしており、仲の良い様子が伺えます。
染め織物職人の妻(嫁)
桐本滉平さんには、染め織物職人の奥さんがいます。
妻
桐本萌寧(きりもと・もね)
広島県出身
震災から半年経った6月、奥さんは一旦広島へ帰省中だそうです。
まとめ【輪島塗】桐本滉平のwiki経歴プロフ!両親や兄弟など家族構成も
いかがでしたでしょうか?
震災から半年以上、まだまだ復興からは遠く、不便な暮らしを強いられている能登半島、輪島市。
すこしずつ輪島塗の再建を目指して奮闘中とのことで、これからも応援、注目していきたいと思います。
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