元スピードスケートの選手で自民党の堀井学衆議院議員が、地元の有権者に秘書を通じて香典を渡したとして、東京地検特捜部が家宅捜査に入り、話題になっています。
堀井学氏といえば、リレハンメルオリンピックの銅メダリスト。
選手の時は、スキンヘッドだったのに、いつのまにか髪がふさふさになっていて驚いた人もいるのではないでしょうか?
堀井学氏は、実はカツラを愛用しているそうなのですが、いつからなのか気になりますね。
今回は、堀井学氏のwiki経歴プロフと、スケート選手から政治家になった経緯などまとめました。
堀井学のwiki経歴プロフ!スケートから政治家へ!
名前:堀井学(ほりい・まなぶ)
生年月日:1972年2月19日(52歳 2024年時点)
出身地:北海道室蘭市輪西町
学歴:室蘭市立白鳥台小学校
室蘭市立本室蘭中学校
白樺学園高等学校
専修大学商学部商学部商業学科
現職:衆議院議員
堀井学氏は、北海道室蘭市輪西町に生まれました。
元スピードスケート選手でオリンピックメダリスト、現在は自由民主党所属の衆議院議員です。
幼少期−スケートを反対する両親
1972年2月、市役所の職員だった父・治年と母・和子の間に生まれ、地元の白鳥台小学校、本室蘭中学校に通いました。
お父さんの治年さんは、厳格で愛情に溢れ、堅実な価値観をもち、堀井氏自身は、外遊びの好きなわんぱく小僧として、元気に育ったそうです。
小学4年からスピードスケートを始めました。スケートがとても早い転校生が少年団で練習している、というのを聞いて、堀井氏も少年団に入ってスケートをやりたいと両親にお願いしたそうです。
当時ご両親は難色を示していたそうですが、「日本代表をめざせ」と、堀井氏のおじいさんがスケート靴を買ってくれました。
「オリンピック選手になりたい」と将来の夢を書いた堀井氏でしたが、おじいさん以外は「なれるわけない」と誰も信じていなかったのだとか。
そして高校進学について、全国からスケートのエリートが集まる「白樺学園」に進みたいと両親に相談した時は、またも「スポーツで飯は食えない」と反対されました。
度重なる両親からの反対は、逆に堀井氏を奮起させ、両親を説得。
「次の大会で16位以内に入いることができたら白樺学園を受験してもよい」という父の言葉どおり16位に入り、白樺学園を受験することができたのだそうです。
高校時代−周りは特待生ばかり
念願かなって白樺学園に入学したものの、エリートたちが集まる強豪校では自分だけが一般入学。
そんななかで気後れしていましたが、高い目標を掲げそれを紙に書いて壁に貼ったのだとか。
周りに圧倒され気後れしていた高校時代、自分がけが予選落ちをした時があり、監督やコーチから「辞めろ」と言われるに違いないと思っていたそうです。
本当に悔しい思いをしていたその時に、監督やコーチが、堀井氏の努力を認めてくれて、期待しているとはげまされたことで、「絶対に速くなってやる」と心に誓ったのだと言います。
逆境を乗り越えて、良いと言われたことは実践することで、オリンピックメダリストへの道へつながったのですね
大学・実業団時代−オリンピックへ
高校卒業後、堀井氏は専修大学商学部商業学科へ進学します。
大学4年の1994年、リレハンメル冬季オリンピックへ出場し、スピードスケート500mで銅メダルを獲得。
そして実業団の王子製紙、PJMジャパン株式会社を経て、有限会社サクセスダイナミックス北海道を設立。代表取締役となります。
主な戦績
1994年:リレハンメルオリンピック 500m 3位入賞(銅メダル獲得)
1996年:ワールドカップ500m 総合優勝、1000mで世界記録
1998年:長野オリンピック500m 13位、1000m 17位
2002年:ソルトレークシティオリンピック500m 14位、1000m 22位
政界へ転身
堀井氏は、自民党登別支部の役員と会談し北海道議会議員選挙への出馬を打診されました。
その時、堀井氏は「前向きに検討したい」と語ったとされています。
2007年:北海道議会議員 当選
2011年:北海道議会議員 再選
2012年:第46回衆議院議員総選挙(北海道9区) 当選 (自民党)
2014年:第47回衆議院議員総選挙(北海道9区) 再選
2017年:外務大臣政務官 就任
2021年:第48回衆議院議員総選挙(比例) 当選
2023年:内閣府副大臣に就任
しかしながら2023年、政治資金パーティーをめぐる裏金問題で「清和政策研究会」からキックバックとして、2018〜2022年の5年間に1200万円の裏金を受け取ったことを認め、内閣府副大臣を辞任しました。
また、2022年頃に選挙区内の有権者に対し自分名義の香典を秘書らに持参させた疑いがあり、東京地検特捜部が家宅捜査。これを受け2024年7月18日、自民党を離党しました。
さらに、次期衆議院議員選挙への不出馬を発表しています。
おまけ:私生活
堀井氏は、1997年看護師の女性と結婚しました。そして1997年12月に誕生した長男をはじめ、なんと四男一女の5人の子供の父親となりました。
ちなみに次男は、スキーの競技選手なのだそうです
【北京オリンピックパラリンピック応援企画📣・自分も滑っちゃいました‼️】
— 堀井学@胆振•日高は4市14町🐎 (@horiimanabu) February 13, 2022
オリンピック観てたら、身体がウズウズしてきますね🔥 息子が競技スキー選手ですので、親としてビデオ撮影して、送迎して来ました。…ついでに自分も滑っちゃいました😉 登別カルルス・サンライバスキー場にて⛷ pic.twitter.com/vVQbWro6fx
堀井学はいつからカツラ?
堀井学氏といえば、走り終わったあとにフードを脱ぎ、あらわになったスキンヘッドが特徴的でした。
そのスキンヘッドのイメージで定着していたと思うのですが、近年突然ふさふさになり、世間を驚かせました。
自ら「二頭流代議士・堀井学」と呼ぶ堀井氏ですが、26年間慣れ親しんだスキンヘッドから、初めてのかつらを着用したのは、2022年、議員生活15年の節目でもあった、50歳の時。
きっかけとなったのは、銀婚式のお祝いに奥さんがポケットマネーでかつらをプレゼントしてくれたことなのだそうです。それ以来、頭髪を取り戻した喜びを知り、かつらを5つ所有しているのだそうです。
信念だけではどうにもならない抜け毛との闘争後、おもいきってスキンヘッドにしてみれば、なぜと問われ、父や祖父の血統の個人情報までズケズケと問いただされたのだとか。
さらには、「怖い」「チンピラみたい」、帽子を被れば、「室内では帽子を取って下さい」「行儀が悪い」などと、スキンヘッドが迫害される世の中。
- 乗り物に乗っている場合、周りは混雑していても、自分の隣の席は必ず空席になることが多い。
- 街を歩いていても、女性からの視線を感じない。
- 組織、チーム、集団でいる際、いないとすぐバレる。名前と頭が一致している。指名手配されたら、すぐバレますので、悪いことは絶対できません(笑)。
- 「あの、あたまの後ろ」とか、目印にされる。
- 直射日光に弱い。日焼けすると、頭の皮が剥ける。
- 冬は、寒い。とにかく寒い。
- 頭をぶつけると、出血しやすい。
- 街を歩くと避けられる。逆に、真っ直ぐ歩けるという利点にもなりますね。
- 子供達が幼稚園で書く父の絵で、周りが似てる似てると、はしゃげばはしゃぐほど、肌色一本の力作を喜ぶ、妻、祖父母の言葉に、そのことを当たり前だと思ってしまう自分がいる。
堀井学氏のnoteより一部抜粋
- お盆でお寺にいると、見知らぬ人から「次、こちらでお願いします」と、お経を頼まれ、肩を叩かれる。
このように、無意識に発せられるハゲハラスメントに対する懸念を、堀井氏は面白おかしくご自身のnoteで語っています。
また、「カツラも多様性の一つとして、日常風景に溶け込むほど、自由自在になればいいなあ」とも語っています。
カツラにしたら雰囲気が全く変わって若々しくなったけど、さまぁ〜ずの大竹さんに激似になりましたね!!笑
まとめ:堀井学のwiki経歴プロフ!いつからカツラ?スケートから政治家へ!
今回は、不祥事で話題になっている堀井学氏の経歴をまとめました。
かつらになったのは、50歳で議員生活15年目の節目のことでした。
不祥事もあり時期は出馬しないということですが、今後どういう道へ進むのか、注視していきたいと思います。
コメント